ペシャワール。
旅をする上で、町の名前を聞くだけで妙に高揚させられる 名前がある。サイゴン、カシュガル、ヤンゴン、イスタンブール、 カサブランカ、イスファハン・・・・・・ ペシャワールもそんな町のひとつ。 ラホールを出発した電車は、めちゃめちゃ空いていた。 前の座席に足をほおり出して、のんびりと外の畑作地帯を 眺める。途中、小さな駅で止まり、新たな乗客を乗せては出発。。 やがて、電車はペシャワールキャントメント駅に到着した。 ペシャワールは思っていた以上に人が多く、交通量も多い。 空気も悪かった。 ここの人々はイスラム教の中でも保守的であると聞いていた通り、 女性の多くはブルカという顔の部分が網状になっているマントのような ものを見にまとっていた。 子供はどことなく西洋人っぽい顔立ちをしていた。 中には、アフガニスタンのバーミヤン近郊に住んでいるといわれる ハザラ人の姿も見えた。ハザラ人は本当に日本人に良く似ている。 今まで見たラホール、ラワルピンディーはパンジャーブ人といわれる インドよりの顔立ちだったのに対し、ここはパターン人と呼ばれる 西洋人のような顔立ちが多い。 街の雰囲気が明らかに違った。 食べ物も油っぽいものが多く、お茶はカワチャイと呼ばれる日本の緑茶 のようなものだった。一番驚いたのは、レストランが座敷になっている事だった。 とても、日本的。 ペシャワールに限っていえることではないが、パキスタン人の男性は よく男同士で手を繋いで歩いている。特に意味はないと言うけど、 駅で普通の男の人と警察官が手を繋いで歩いていたり、ホテルのフロントで 外から手を繋いできた30代~40代くらいの男同士が一緒に階段を登っていくのを 見るとなんとも体がかゆくなってくる。 ペシャワールに着いて、早速、旧市街を歩いてみた。 さすがにどこの町もそうだけど、雰囲気があって良かった。 物を売る甲高い少年の声がなんとも心地よかった。 街中には、たくさんアフガニスタン人がいた。 実際、ペシャワール郊外にはアフガン難民キャンプがたくさんあった。 宿の隣のチャイ屋は従業員がみなアフガン人だった。 ただ、タリバン政権が崩壊して、アフガンに戻りたいと言ってる人や、 パキスタンにいるほうが良い、と言う人様々だった。 そういえば、パキスタンで気になった事が一つ。 パキスタンのインターネットカフェは必ずといっていいほど、 頭くらいの高さの仕切りがあり、隣の人同士がお互いのパソコンを 見れないようになっている。 聞いた話だけど、どうやらその理由はエロサイトを見るためらしい。 実際、パソコンの「お気に入り」の所を見るとそれらしき単語が あった。イスラム教徒がほとんどのこの国では映画やインターネットが 禁欲から解き放たれるオアシスらしい。 仲良くなったラホールの大学生が熱く語っていた・・・・。
by yutasaito23
| 2006-10-18 00:31
| 海外旅行
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