カテゴリ:海外旅行( 19 )

イエメン旅行記②サナアの路地裏

イエメンの首都サナア。

イエメン人はよくサナアッ!と、アを強く言う。
英語で書くとSANA’Aだからだろうか。

サナアといえばなんとも外せないのがオールドサナアと呼ばれる
世界遺産にも登録されている旧市街。

独特の土と日干し煉瓦で出来た家の窓は白い漆喰にステンドグラス
のようなものが飾りが施されている。
旧市街の中はまるで迷路のように入り組んでいる。
しかし、あえて自分から迷い込み、時折垣間見れるイエメン人の生活
がほのぼのしい。

あてもなく、路地裏を歩いていると声をかけられる。
覚えたてのアラビア語で挨拶するとものすごく喜んでくれ、
そのままとんとん拍子で「お腹すいていないか」と言われ、
家の中に招待される事になった。

彼に招待され、中に入るとすでに何人かの人がいた。
案内されたのはマフラージと呼ばれる日本で言うリビングのようなところ。
すぐに、お皿いっぱいのライス、スープ、ケバブ、サラダ、ホブスというパン
などが出てきた。
ライスもパキスタンを旅したときに食べたビリヤニに似ていて、味のついた
ライスだった。
お腹いっぱい食べた後はチャイが出てくる。

チャイを飲み終えると、イエメン名物のカート。
カートはアフリカやアラブで栽培されている葉で一種の覚醒作用がある。
お隣のサウジアラビアでは法で禁じられているらしい。
イエメン人にもらい、カートを噛む。ただかむのではなく、
片方の頬に噛みながら詰めていく。だから、午後のイエメンの男達は
みなこぶとり爺さんのようだ。
カートをしていると急に、そうだ「アラビアンネーム」をつけようと言われた。
みなあーでもない、こーでもないと考え抜いて出て、命名されたのが

「オマル」

・・・・・・・

ちょっとかっこ悪い気がしたけど、まあよしとするか。
ちなみに、この後、他のイエメン人からはお前の名前は「フセイン」だ、と言われた。。

e0096757_2173470.jpg


ご馳走になった彼に別れを告げ、旧市街を歩いていると、ちょうど犠牲祭の最中だからか
ドレスアップした子供達が沢山目に付く。
目があうとすぐに、「スーラ、スーラ(写真とって!)」と言ってくる。

e0096757_2175922.jpg


これまで様々な国の子供達を見たけどアラブの国の子供達は目がくりっとしていて
かわいい。そして、やたら人懐っこい。
まったくと言っていいほどすれていなくて一緒にいるだけで楽しい。

e0096757_2181468.jpg


夕方になると、一斉に街には礼拝の時間を告げるアザーンが流れる。
人々は皆、モスクへ向かい礼拝を始める。
モスクへはイスラム教徒以外の人が入る事は禁じられているので
中を見る事が出来ないが、イエメンはイスラム教国の中でもより
敬虔なイスラム国家だと感じた。

e0096757_2184959.jpg

サナアの夜は旧市街の中にある灯がなんともいえなく懐かしい
雰囲気なオレンジ色に染める。
そこには、他の国にあるような治安の悪いぴりぴりした雰囲気は感じられず、
夜でも多くの人が出歩いている。
オレンジの明かりに石畳に、民族衣装をまとい、腰に刀をさしたイエメン人
が歩いているのを見ているとまるで数百年前にタイムスリップしたかのような
感覚を覚えた。
[PR]
by yutasaito23 | 2007-07-25 21:09 | 海外旅行

イエメン旅行記①幸福のアラビア

イエメン。

初めて聞く人はどこにあるかなんか想像できないだろう。
ましてや行こうだなんて思う人はほとんどいないだろう。

はじめてイエメンの存在を知ったのはイランの安宿でだった。
同じドミトリー(相部屋の安宿)の隣のベッドにいた日本人から
目を輝かせるようにイエメンの良さを聞いて、いつかは絶対に行こうと
心に決めていた。



*    *    *    *    *    *    *    *  



ヨルダン・アンマンのクインアーリア国際空港を出発したロイヤルヨルダン航空
は徐々に高度を下げ、機内にある「Time to destination」が15 minutes
と表示されている。
窓から外を見ると到着した時間が朝方だったためか、まったくといっていいほど明かりがない。
これが首都の空港なのか・・・。と思ってしまう。

着陸し、タラップを降りる。気温は15度と9月とは思えないほどに寒い。
さすがに高度2300mだ。
ターミナルへ向かって歩いていると虫の鳴き声が聞こえてきた。
なんと、のどかな。

そして、イミグレーション。
特に問題なくあっさり入国スタンプを押してもらった。
空港内で少し両替をし、サナア中心部に行くべく空港の敷地から出て、
たまたまいた空港職員に中心部であるタハリール広場までの行き方を
聞いたら、逆に「飯食ったか?」と言われ、「食べてないよ」
といったら、「じゃあ、一緒に食べに行こうぜ」
と言われた。

自分から声をかけた人に悪い人はいないという考えからついていくことにした。

歩いていけるほどの近くの食堂に行き、チャパティとキブタ(レバーなどが入った
ピリ辛炒め)を食べた。おいしかったけど、朝っぱらから肉は重たかった。
最後にチャイハッリーブ(ミルクのチャイ)を飲んだ。
重たかったけど、おいしかった。最後におごってくれた。
これ以降、イエメンでは「お~、シュクラン!!(ありがとう)」が口癖にるくらい
おごってくれた。

食堂の前で彼ら3人と別れ、ダッハーブと言う乗り合いワゴンに乗った。
あたりはまだ薄暗い。すでに乗っていたイエメン人は頭に皆カフィーヤという
アラブ人が付けている布を巻いている。
皆、ダッハーブに乗ってくるとき、「アッサラームアレイコム!(こんにちは)」
という。それに対して、すでに乗っている乗客は「ワレイコムッサラーム!
(こんにちはに対する返答でこんにちはの意味)」と言う。
その一連の流れがかっこよすぎて、タハリール広場に付く前から
なんともいえないイエメンに対する期待感でほほが緩んでいた。

e0096757_21255829.jpg


街を歩いている男性はみな腰にジャンビーアと言う刀を差して歩いている。
21世紀のどこにこんな国があるだろうか!
窓の外には、独特なまるでお菓子の家のようなイエメン建築の家が連なっている。

e0096757_21261049.jpg


タハリール広場でダッハーブを降りる。
ちょうど、イスラムの犠牲祭にあたるため、店はどこも閉まっていた。
広場近くのニールホテルというところにチェックインした。
1泊約1ドルちょっとの安宿だ。意外と旅行者が少なく、地方からの出稼ぎ
に来ているイエメン人やエチオピア人が泊まっていた。
隣の部屋に住んでいるエチオピア人とはすぐに仲良くなり、ご飯を食べに行ったりした。

e0096757_21262985.jpg


広場から程近いオールドサナアと呼ばれる旧市街に行った。
旧市街に入った瞬間、全身に電気が走るような衝撃を受けた。
「なんなんだー、ここはー!!」「こんな雰囲気ははじめてだー!」
ここまで感動したのはいろんな国を旅したが初めてだった。
旧市街を歩いていると、路地裏で遊ぶ女の子や男の子、サッカーをしている子、
刀をさして渋ーく歩く男の人。みんな笑顔で挨拶をしてくれる。
やがて迷路のような旧市街を歩くと、バーバルヤマンという大きな門に到着。
数百年前と同じ雰囲気がそこにはあった。
これだけで、イエメンに来て良かったと思った。
[PR]
by yutasaito23 | 2007-07-10 21:14 | 海外旅行

<アジア横断旅行記33>アジアの果て イスタンブール

昨晩8時にギョレメを出発したバスに乗っている。

途中、目を覚ましたり寝たりを繰り返す。
気がつくと、午前4時だった。イスタンブールには朝7時頃つくらしい。
あと、3時間と思いまた窮屈な椅子に身をゆだねた。

外が明るくなってきて、自然と目が覚めた。
ふと、車窓を見ていると「istanbul」という看板が目に入った。
いよいよ、イスタンブールだ。その看板を見た瞬間、2ヵ月半前に
中国・上海から始まった今回の旅を思い返していた。
中国、ベトナム、中国、パキスタン、イラン、トルコとかけ足ながら移動してきた。
いろいろな人と出会い、いろいろな目に遇い、数え切れないほどの親切を受けた。
そんなことを考えながら、バスはイスタンブールのハレム・ガラジ、アジアサイドの
バスターミナルに着いた。

イスタンブール。
かつて、コンスタンティノープルと呼ばれた古都。
この町を境に東をアジア、西をヨーロッパとされている。
イスラム教国家トルコだがこの町は西の力が強いからか女性がジーンズを
履いていたりしていた。

バスターミナルからヨーロッパ側へわたるフェリーに乗り込む。
フェリーでイスタンブールに到着を祝うかのごとくチャイを飲んだ。
かつて、自分が影響を受けた沢木耕太郎の「深夜特急」で主人公がこのフェリーで
チャイを飲み、「5リラ50クルシュの優雅な航海」と呼んでいたのを思い出した。

そんなことを考えているとすぐにフェリーはヨーロッパ側に到着した。

早速、おなかが空いていたので桟橋近くでムール貝の中にピラフが入っていて
レモンを絞って食べる屋台で朝ごはんをとった。

e0096757_2251365.jpg


イスタンブールにはブルーモスク、アヤソフィアといった巨大なモスクがある。
街中にはトロリーバスが走っていて、どことなく東欧のような雰囲気。
今まで、中国、パキスタン、イランと抜けてきた自分の格好が少しみすぼらしく
感じてしまった。

e0096757_21542515.jpg


旧市街にはかつての栄華が残っているようなグランバザールがあって、
その近くには庶民のバザールであるエジプシャンバザールがある。
個人的にはエジプシャンバザールが好きだ。
生活雑貨、衣類、屋台まで何でもそろっていて、トルコ人が大きな声で
「これ安いよー、買ってきな」といった感じで叫んでいる。
少年は底抜けに明るい。

e0096757_21535662.jpg


夕方まで、バザールをぶらつき宿に帰った。
宿にはヨーロッパ側からこれからイラン、パキスタンへ向かうという日本人旅行者が
ちょうどチェックインしていた。一緒にご飯を食べに行くことにして、
街中でトルコ料理を食べ、宿に戻り、マルマラ海が見える宿の屋上で
買い込んだビールとピスタチオを広げ、今までの旅のこと、日本でのこと
いろいろなことを語った。
ちょうど火照った体に海から吹き付ける風が気持ちよかった。

旅ではたった今知り合った人とすぐに仲良くなれるし、
実はどこかでつながっていたり、そんなことが良くある。

2ヵ月半の旅の間でもいろいろな偶然があった。
旅をして一番おもうのは先入観を持つことの無意味さだろう。
ことごとく、そういう意味では裏切られた旅だったと思う。

やはり、長かろうと短かろうと旅はやめられないな。
[PR]
by yutasaito23 | 2007-06-13 22:05 | 海外旅行

<アジア横断旅行記32>奇形!奇形!

朝起きるとビックリした。
周りには侵食が進み、奇形となった岩がそびえている。
それも360度。洞窟化した場所では、中で暮している人もいた。
イタリアのマテーラを思い出した。

早速、朝食をとって遺跡を歩いて廻る。
遺跡と言っても一帯が遺跡になっているので、とてもじゃないけど歩けない。
わりと近いウチヒサールと言う町まで歩く事にした。
ウチヒサールは全く観光地化されていなくて、泊まっているギョレメとは全く違った。

ウチヒサールでは、当たり前のように暮していた。
トルコ人の女性はみな優しかった。

e0096757_2253286.jpg





ウチヒサールで少し休んでからホワイトバレーと言われている
侵食した部分が真っ白になっているエリアまで歩く事にした。
30分ほどですぐに到着。
そこは、まったく人、動物以外全く気配を感じない場所で、まさに「静」の
空間があった。全く音がしない。
逆にそれが恐怖を感じさせた。

遺跡は広大な場所に散らばっているので、いきたい場所へはヒッチハイク
で移動した。交通量はまばらなので、時折通る車を止め、行きたい場所を
言うと、大概の車は乗せてくれた。

夕方にはローズバレーと言う所へ行った。
ローズバレーとは名前のごとく、日中は白い谷が夕方に赤く染まると言う
場所。
道路沿いで降ろしてもらい、歩く事30分以上。
ローズバレーに着いた。ちょうど夕暮れの時間帯で谷がオレンジ色に染まっていた。

e0096757_233589.jpg




しばらくその絶景に浸っていた。
すぐに日が暮れてきた。カッパドキアは内陸地帯なので日が暮れると急激に
温度が下がってきた。帰りは遺跡に居合わせたトルコの警察の人に行くって
もらえることになった。

ギョレメに帰ってきた頃にはもう真っ暗だった。
明日のこの度での最後の移動であるイスタンブールまでの出発前夜、
宿であった旅行者と夜遅くまでビールを飲んで寝た。
[PR]
by yutasaito23 | 2007-04-28 23:08 | 海外旅行

<アジア横断旅行記31>Turky!! 

イラン側の国境の町、バザルガンに着き、そこから国境まで2キロ。
歩く事にした。30分くらいかけてのんびり歩いている間、イランとトルコを
行き来するトレーラーに何度も抜かされた。


e0096757_22164720.jpg

ようやくして国境に着いた。
少し大きな国境事務所があるだけで他には何もない。
ただ、国境には金網が張り巡らされていた。小高い丘にはイランとトルコの
旗が風でなびいている。
特に緊迫感は感じられず、イランとトルコの商人が行きかっている様子。
イミグレーションではすぐに出国スタンプを押してもらい、トルコ側の
事務所でもすぐに入国スタンプを押してもらい実にスムーズ。






国境を出て最寄の街であるドウバヤジット行きの乗り合いバスが出ている場所まで
歩いた。
そこには検問所があって、たくさん軍人がいた。
しかし、そこは親日的なトルコ、みんなフレンドリー。
W杯の準々決勝で負けた事をネタにされた。

e0096757_22205880.jpg


ドウバヤジットはそこから約30分。
街中のメインストリートにある安宿に泊まった。
宿に着いたのはもう夜だったので近くでトルコ風ピザを食べて寝た。


翌朝、トルコの中部カッパドキアへ行くバスに乗った。
何時間かかるか聞いていなかったので、まあ朝出発だし夕方くらいには
着くだろうと勝手に思ってたら、とんでもなかった!

外は暗くなり今どの辺を走っているのか全く分からない。
ものすごく不安になってくる。
気が付いたらバスの中の時計は22時を廻っていた。
23時を過ぎて、バスの乗客が「カイセリ」と言っているのが聞こえた。
どうやら自分が降りるアヴァノスの約1時間手前の街。
結局、0時を廻った頃、車掌に「ここがアヴァノスだ」と言われて
降ろされた。

しかし、、、、
辺りには何にも無く、ガソリンスタンドがある以外は真っ暗。
しかも、めちゃくちゃ寒かった。
カッパドキアの街ギョレメまでは10キロの表示。
しばらく歩いていると、後ろから1台車が来た。
これを逃したら後はないと思い、道端に出て必死のヒッチハイクをした。

偶然にもギョレメに行くその車に乗せてもらい、20分ほどでギョレメに着いた。
すでに深夜1時過ぎ・・・。
近くの安宿にチェックインしそのままの格好で寝た。

気付いたら、朝になっている。
昨夜は暗くて辺りの景色が全く見えなかったけど、辺りを見ると
ものすごい奇形な岩があちらこちらにあってびっくり。

しかも、その岩は洞窟になっていて中で人が暮していた。
こんな場所は初めて。
ゆっくり腰をすえて周ってみる事にする。

e0096757_22365570.jpg

[PR]
by yutasaito23 | 2007-02-22 22:38 | 海外旅行

<アジア横断旅行記30>別れと出会い

朝、起きておばあちゃんの家に戻った。

それから少し遅い朝食をとった。
メニューはチャパティにゆで卵に卵とトマトを炒めた様なもの。
そして、チャイ。
おいしかった。

少しのんびりしたり、洗濯を手伝ったりしながら昼過ぎになった。
それから、夕方のタブリーズ行きの寝台列車に乗るために、テヘラン駅に向かう。
アミニさんは駅まで送ってくれると言うので、一緒に駅までついて来てもらったが、
おばあちゃんとはここでお別れ。
玄関で、アミニさんがペルシャ語を通訳してくれた。
「もう帰ってしまうのは寂しいよ。あなたは外国人じゃなくて、まるで家族のようだった」
と言ってくれてものすごく嬉しかった。
最後に握手をして別れた。
いつまでも後ろで見送ってくれていた。

e0096757_22192925.jpg



それから、最初にアミニさんと出会ったお兄さんが働いている古着屋へ行って
別れの挨拶をした。餞別にシャツをくれた。

それから、2人でテヘラン駅へ向かった。
どこと無く会話が少なかった。

駅に着いてから、電車の時間まで色々と話をした。
彼も、久々に日本人に会えて日本を思い出したり、前向きに考える事が
できたみたいだった。こっちが感謝する側なのにそんな事を言ってもらえて
嬉しかった。

列車が出発する10分前に改札で別れた。
この3日間の事がよぎって涙が出そうだったけどこらえて、握手して分かれた。
何度も振り返り手を振った。


そして、タブリーズ行きの列車に乗ったら隣の席がタブリーズに住んでいると言う
大学生だった。(彼はとても25歳とは思えなく見かけは45歳くらいだった)
近くの席の人達とすぐに仲良くなった。

e0096757_2220265.jpg


出会いがあって、すぐに別れがあって、また出会いがある。
旅をしていて一番辛い瞬間はやはり別れる時だと思うけど、こうして出会いがあるから
それを乗り越えられるのかなと思う。

本当に一人旅は一人で旅してはいるけど、結局たくさんの人に支えられている
んだな、とつくづく感じた


*     *     *     *     *

タブリーズには朝8時に着いた。
思っていたよりも大きな町だった。
列車の中で出会ったどうみても25歳に見えない大学生とバスターミナルまで
送ってもらえる事になった。
それから、すぐトルコとの国境に程近いマクー行きのチケットを買おうとしたが、
午後1時発のバスしかないらしい。しかも、タブリーズからマクーまでは
約4時間かかり、今日の国境越えも難しそうだった。

しかし、その大学生がいろいろと情報をかき集めに奔走してくれたお陰で
どうやら途中の分岐点まで行くバスに乗り、そこから乗り合いタクシーに
乗れば早く着ける、と言う手段を見つけてくれた。
その彼が「あのバスだ、急げ急げ!」と言うので急いで飛び乗った。
バスもまさに今、出発する時だった。

彼にお礼を言おうとしたが、彼がいなかった。
探しても見つからない。バスの運転手にクラクションを鳴らされ、
早く乗るよう促される。
しょうがないので乗る事にした。
しかし、昨日から今日まで色々と世話になった彼にお礼を言いたかった。

無情にもバスはターミナルを出ようと旋回したまさにその時、
バスが止まった。外を見ると、さっきの彼が両手にビニール袋を
抱えて走ってきた。
急いで窓を開けると、息を切らし、「昨日から何も食べてないでしょ、
バスの中でこれを食べて」と、ジュースやクッキー、パンを窓越しに渡してくれた。
その時は、嬉しくてただただ「Thank you」という言葉しか出てこなかった。
嬉しくて、鳥肌がたった。

タブリーズを出発して約3時間。
分岐点で降ろされた。そこで、マクーまで行く乗り合いタクシーを捕まえた。
すると、運良く捕まえたタクシーにトルコとの国境の町、バザルガンまで行くと言う
イラン人も一緒だったのでそのままバザルガンまで行った。

e0096757_22202512.jpg


辺りは乾燥しきった大地が広がり、その一直線の道路を乗り合いタクシー(サヴァリ)
が突き進むのは気持ちよかった。
しばらく進むと、前方には「ノアの箱舟」がたどりついたといわれるアララット山が
見えてくる。話で聞いていた通り富士山にそっくりだった。

間もなくして国境の街、バザルガンに着いた。



*テヘランで出会ったアミニさんと別れて約1年後、結婚したというメールが来た。
おばあちゃんも元気と言う事もかいてありほっとした。
[PR]
by yutasaito23 | 2007-02-08 22:22 | 海外旅行

<アジア横断旅行記29>ひょんなことからホームステイ

イスファハンから首都テヘランを目指す。

夜行のバスで行くことにして、ゲストハウスの人や同じ部屋の
旅行者達に見送られてバスターミナルへ向かった。
バスは週末ということもあってどこも「Full」と言われたが、何とか
してテヘラン行きの空席を見つけた。

途中、バスの中が煙が充満する事件があったが30分後、何事も無かったように
再出発した。イスファハンからのバスは運賃が日本円にして約200円と言う
破格の安さにもかかわらず、サービスはすごくて乗客にお菓子とコーラが配られた。


イランの首都、テヘランのバスターミナルに着いたのは朝4時。
まだ真っ暗だった。
あまりに暗くどうすることも出来なかったので待合室で明るくなるまで寝る事にした。
起きたら、8時。

広いテヘランの町をあてもなく歩いていた。
ふと、古着屋があって面白そうなものが売ってそうだったので、中に入る。
そうすると、「日本人?」と日本語で声を掛けられた。

たいてい旅をしていて、向こうから「日本人?」とか日本語で挨拶してくる人は
怪しい可能性が高い。そして、日本は大好きだ。日本人の友達がいる。
何かおごってやろう。となり、レストランとグルで睡眠薬が入っていて
何もかも奪われた・・・と言うような話はよく聞く。

その「日本人?」という言葉で警戒心がぐぐっと上がった。
どうやら彼は日本で働いていたらしい。んん、よくある話だ。
しかし、「じゃあ、どこに住んでたの?」と聞いたら
「東武練馬だよ」
え?!「トウブネリマ?」

それは大学時代よく使っていた東武東上線
のしかも各駅しか止まらない駅名だった。

それからは警戒もとれ、今までの旅のこと、日本の事、イランの事、
色んな事を話した。

そうこうしているうちに、彼ことアミニさんがうちに泊まりに来ないか
と言ってくれた。
結局、お邪魔することにした。
アミニさんはおばあさんと住んでいて、家に着いたらおばあちゃんが
温かく迎えてくれた。
イランの家は、床が全て絨毯で埋め尽くされていて、日本の家と同じように
玄関で靴を脱いで家に上がるスタイルだった。

e0096757_22515955.jpg


それからすぐ、アミニさんのお姉さんの家に招かれた。
家に上がると、すぐにチャイが出てきた。そして果物。
アミニさんのお姉さんがアミニさんが日本から持って帰ったカレーを作ってくれた。
おばあちゃんは辛くて食べれないよ、っていうジェスチャーをしていた。











翌日は、朝おばあちゃんが作った朝食を食べた。
メニューはチャパティに似た薄っぺらいパンにはちみつ、バター
簡単なサラダ、チャイ。
なかなかおいしかった。

この日はアミニさんの妹の家に招待された。
閑静な住宅街に家はあった。そこに向かう地下鉄も近代的で
驚いた。テヘランがここまで都会だとは思ってもいなかった。

妹さんは4年前に結婚して旦那さんも優しくてかっこよかった。
旦那さんは日本社会、日本経済のことなど色々と知っていた。
ここでもご馳走になってしまった。


それから、テヘランでも中心部のショッピングセンターへ行った。
そこでは若い女の子はみなオシャレだった。チャドルもみな個性的で
チャドルがオシャレに見えた。

夜はアミニさんの親戚のアクバルさんの家へ。
夕食はイラン料理。パキスタンのペシャワールで見たような野菜を煮込んだ
カレーに底を焦がしたご飯。おいしかった。
おばあちゃんがアミニさんが買ってきたコーラをぐびぐび飲んでいたのが
印象的だった。

ご飯を食べてからアクバルさんの若いときの写真やイランイラク戦争に行った時の
写真や2人の結婚式の写真を見た。


イランに入国した時は、他のアジアの国のような雑踏感が少なかったり、
都市部では若いイラン人に石を投げられたり、差別用語を言われたりと
なかなか印象が良くなかったけど、こうして一般のイラン人と一緒にいると
ものすごく親近感がわいてきた。



e0096757_22595992.jpg

[PR]
by yutasaito23 | 2007-01-15 23:11 | 海外旅行

<アジア横断旅行記28>世界の半分

昼過ぎにバムを出発した。
イランのバスは道が整備されているせいもあり、
非常に快適だった。

途中、ケルマンという街に寄り、夕食を食べてから、
バスを乗り換え、かつて「世界の半分」と言われた
イスファハンへ向かう。

バスが出発したのは夜8時半。
バスが出発するとすぐに、備え付けのテレビで
「バックトゥザフューチャー3」をやっていた。
途中、何度か検問があったがぴりぴりした雰囲気は
感じられなかった。

ケルマンを出発して10時間。
辺りはまだ真っ暗だった。街の明かりなど全く無い
荒野を走っていたが、急に遠く地平線に、ものすごく
光る街の明かりが見えた。
隣のイラン人に「イスファハン?」と、聞いたらうなずいた。
少しずつその光が近づいてきた。

朝7時にバスはイスファハンの郊外にあるバスターミナルに到着した。
着く直前に車窓から見た景色は、自分が想像していたイランとは
全くかけ離れていた。
あ~ヨーロッパだな、と感じた。
街中には綺麗に整備されたロータリーがあり、道路の端には
綺麗な花が咲いており、電気バスまで走っている。
街行く人の格好は皆綺麗。チャドルを着た女性はとてもエキゾチック。
皆、目や鼻立ちがすっきりとしていて綺麗だった。

その後、バスの中で知り合ったイスファハン大学の学生の学生寮に行った。
学生寮の敷地がほんとに広かった。
彼らの寮に入り、チャイとチャパティにハチミツを塗り、それにピスタチオを
のせて食べるというイラン式朝食を食べさせてもらった。
意外な組み合わせだったけどおいしかった。

彼らと別れて、イスファハンの街中にある安宿にチェックインした。
すぐに、イマーム広場(王の広場)へ行った。
しかし、期待していた以上に大きく、広場の中には車道もあり、
観光客用に馬車が走っていたりと多少興ざめしてしまった。

しかし、広場の周囲にバザールがあり、香辛料、生地、絨毯屋などが
軒を連ねていて、それを見ていると、かつてここがシルクロードの要衝で
貿易が栄えていたんだろうな、というのをひしひしと感じられた。

e0096757_20261092.jpg


広場を歩いていると、日本人によく似た人々を見かける。
噴水のところで腰掛けていると、声を掛けられた。
話すとアフガニスタン人のようだ。アフガニスタン人でもハザラ人という
人種のようだ。ハザラ人にはこの旅で、ペシャワールでも会った。
彼らは日本人と同じモンゴリア系で多くはアフガニスタンのバーミヤン周辺
に住んでいる。彼らと同じくして、アフガン内戦を逃れてイランへ来ている
アフガン難民は多い。タリバン政権が崩壊し、アフガンに残っている
親族と連絡が取れるようになった、と喜んでいた。

e0096757_2026268.jpg


夕方近くになり、イマーム広場にあるモスクからいっせいにイスラム教の
祈りの時間を告げるアザーンが流れる。
イスラム圏を旅しててこのアザーンが流れるのを聞くのがすごく好きになった。
町中に流れ、モスクでは人が集まり、皆お祈りをしている。
日本では毎日、皆が祈りを捧げているのを目にしないので、
ほんとうに異国にいる気がする感じが好きだ。

e0096757_20264466.jpg


それから、少し歩いたところにある橋の下のチャイハネに行った。
そこでは、みな夕方ののんびりした時間をチャイを飲んだり
水タバコを吸ったりして思い思いの時間を過ごしていた。

e0096757_2027342.jpg


イスファハンにはかつての古都としての落ち着きが感じられた。
[PR]
by yutasaito23 | 2006-12-22 20:28 | 海外旅行

<アジア横断旅行記27>今は無きアルゲバム

アルゲバム。
イラン南東部に位置する遺跡。
約300年前にそこで暮す人々が忽然と姿を消したと言われている。

最初、この遺跡を知ったのは「深夜特急」という大沢たかお主演の番組
を見たのがきっかけだった。
その時、アルゲバムの存在を知って無性に行きたくなった。
ペルセポリスと比較したら歴史は浅いけど、なぜか惹かれた。


ザヘダンを出発したバスは4時間ほどでバムの街に着いた。
到着した日はすでに夕方だったので、ご飯を食べて翌日に備えて寝た。


翌朝、7時に起きてアルゲバムの遺跡まで歩いた。
宿からは30分ほどの距離だった。

e0096757_23334191.jpg


中に入ってみると、意外と遺跡がきれいだった。
中は迷路のようになっていて、かつて、人が集まっていたような広場や、
公衆浴場の後があったりした。

結局、遺跡の中には1時間ほどしかいなかった。


e0096757_230810.jpg


帰り道、バザールに行った。
バザールの中を歩いていると、すぐにチャイハネ(チャイ屋)でチャイを
飲んでいたおじさんが「来い、来い」というジェスチャーをしてきたので、
チャイをご馳走になって、そのチャイを飲もうとしたのだが、
その飲み方が面白かった。

まず、最初に角砂糖を口に含み、グラスに注がれたチャイを受け皿に注ぐ。
そこで、熱々のチャイを冷まし、口に入れる。
徐々に、口の中に含んだ砂糖を溶かしながら飲んでいく。
しかも、うまいことにちょうど一杯なくなる頃に、口の中に含んだ角砂糖も
なくなるようになっている。
結局、おじさんにチャイをおごってもらった。
バムの街では親切な人にたくさん出会った。

こじんまりとしていていい街だった。

-----------------------------------------------------------------------

自分がバムに行った翌年の12月、M6を越す大地震に襲われた。
死者4万人を超す大惨事だった。
最初、このニュースをテレビで見たとき、自分が1年前に見た
アルゲバムの姿は無残にも崩れていた。
遺跡の中で会った青年、修理をしていた人達、バザールのおじさん、
街中で明るく声をかけてくれた少年、宿のオーナー達を思い出した。
ただ、無事を祈るしか出来なかった。
幸い宿のオーナーは友人の情報で無事だったとの事。

改めて旅は平和だからこそ出来るもんだな、と思った。

イラン南東部地震
[PR]
by yutasaito23 | 2006-12-11 23:09 | 海外旅行

<アジア横断旅行記26>夜行バスでイランへ

夕方、パキスタンとイランの国境の町、タフタン行きのバス
に乗る。

バスは、クエッタを出発するとすぐに砂漠地帯に入った。
すぐに暗くなったのであまり外は見えない。
ただ、くねくねと山を登ったり、まっすぐな道をものすごい
スピードで突っ走っているのは分かった。

夕方出発したため、バスは日没前と日没後、礼拝のため止まった。
乗客の礼拝が済むとバスはまた動き出す。
彼らが砂漠の真ん中で同じ方向に向け祈っている姿を見ていると、
なんだか遠いところまで来たんだな~、感じると同時に
イスラム教徒の敬虔さを感じる。

バスでは、なんとラホールからクエッタまで一緒だったパキスタン人
と一緒だった。隣に座ったのは頭にターバンを巻いているタリバン兵
といわれたら信じてしまいそうな男だった。
彼がまた臭いわ、寝る時にやたら場所とるわで困ったもんだった。

午後10時過ぎ、食事休憩と礼拝を兼ねた約1時間近くの休憩。
みな、おいしそうな食事を食べている。
今日はずっと下痢気味だったのでリンゴジュースを飲んだ。

それからは午前4時まで休み無くひたすらバスは走り続けた。
午前4時、若者連中が降りると、ようやくバスの乗客がだいぶ減り
これでのんびり寝れると思って思い切り寝転んだら、パキスタン人に
起こされた。
どうやらタフタンに着いたらしい。
それにしてもまだ午前4時半。辺りは真っ暗だ。
結局、国境が開く9時まで待つ事にした。

バス停から国境まで30分くらい歩くと、南北にひたすら柵が伸びていて
その真ん中にイラン革命の指揮者ホメイニ氏の肖像画のある小さな小屋
が見えた。イミグレーションだ。

e0096757_182377.jpg


パキスタン側で出国のスタンプを押してもらい、そのままイラン側へ。
イラン入国用の申請用紙を書き提出して2,3分。
あっさりと入国スタンプを押してもらった。

国境から一番近い街であるザヘダンまでバスで一緒だったパキスタン人4人と
タクシーをシェアした。5人もいたので結局、荷台に乗ることに。
しかし、一本道を風を切って走るのはめちゃくちゃ気持ちよかった。
イラン高原が真横に見えた。

e0096757_18232618.jpg



国境から走り始めて約50分。
街中に入ってきた。この辺りに来ると、東洋人が荷台に乗ってるからか
やたら視線を感じる。
それにしても、この時感じたのは、イランの道はとてもいい。
街の雰囲気がどことなくヨーロッパを感じさせた。
トルコに近づいている、という事を決定的に感じられた。
パキスタンのような雑踏とした雰囲気はあまり感じられないし、
どことなく街に落ち着き、というものが感じられる。
かつて、イランがペルシャ帝国時代にかもし出した雰囲気が今に
残っているからかもしれない。

ザヘダンに着いてすぐ、イランの最初の目的地であるバム行きの
バスに乗った。
[PR]
by yutasaito23 | 2006-12-07 18:34 | 海外旅行