<   2011年 05月 ( 2 )   > この月の画像一覧

50人前のうどん<気仙沼2日目①>

気仙沼に到着し、2日目の朝。

6時に起床し、昨日頂いたおにぎりでチャーハンを作り食べた。

避難所になっている鮪立(しびたち)老人憩いの家は高台の上に立っており、
昨晩到着した時は、辺りが真っ暗で何も見る事ができなかった。
宮城県唐桑半島に位置するこのエリアは三陸にあるリアス式海岸の
入り江の一つで、漁港があり、そのすぐ近くに数百の家々は海産物の加工場
などがある小さな町。
e0096757_13485643.jpg


高台からは津波にのまれてしまったその町並みを見る事が出来た。
テレビ等で見てはいたものの、実際目にすると言葉を失ってしまった。

のんぴーの案内で漁港の方へ降りる事にした。
避難所から漁港までは約1キロ。高低差は50mくらいだろうか。
歩いて15分程して、すぐに漁港まで降りる事が出来る。
海から海抜10mくらいの所までは何もかもが流され、残っているのは
自衛隊が整理したがれきだけだった。
地震発生当初は、家が土台を残し海に流され沖まで行ったり来たりを
していたという。そして、今歩いている道路の真ん中にも家があったんだよ
という事を教えてくれた。
鮪立という名前からも分かるようにこの町ではマグロ漁船に乗っている船乗り
が多く、3億円したマグロ漁船は気仙沼市内で打ち上げられ、船を海に動かす
作業だけでも5000万円近くの費用がかかってしまうという。
e0096757_13473926.jpg


唐桑の町から避難所へと続く坂道を歩いていると、約1ヶ月前津波に襲われた時、
町の皆さんは生まれ育った町が波にのまれるのを後ろにしながらどんな思いで
この坂道を駆け上がったのだろう。
そんなことを思いながらその坂道を歩いていると、遠くの方からゴーッという
地響きのような音が聞こえた。
すると、のんぴーが「地震がくるよ」といった。
歩いていたのであまり揺れは感じる事ができなかったが、この辺りでは地震が来る
時は地鳴りのような音が聞こえるようだ。

避難所に戻り、避難所のリーダー的存在の村上さんが
「おめさんだじ、厨房空いだがら使っでいいよ」
と言ってくれた。
厨房に入る前に、イベントで集めた救援物資車3台分を渡した。
救援物資の中でも事前に村上さんに聞いて提供したタイマー付きの炊飯器
は非常に喜んでくれた。これまでは、食事当番の人が4時に起きてご飯を
炊いていたそうでこれで朝もゆっくりと寝れるよと言ってくれた。

救援物資を手渡した後は、炊き出し用の食材を厨房に入れた。
厨房はメンバー7人に、唐桑町の女子高生さなちゃんを加え8人。
足の踏み場も無いくらいに埋まってしまった。
e0096757_1350166.jpg


昼食のメニューはうどん、炊き込みご飯にサラダ。
嬉しい事にこれまで炊き出しメニューでうどんはなかったとのこと。
豚汁やカレーが炊き出しメニューの定番のようだ。
しかし、11時半には提供できるよう野菜を切る人、だしを取る人に
分かれ作業した。
時間に追われながらも、厨房は笑いが絶えず楽しかった。
普段、女子高生と話す機会が無いからかさなちゃんにみんな(特に男性陣)
が群がっていた。
「さなちゃん、こっちの人は何して遊ぶの?」
「んー、やっばし、たづぼんごは最高ですー」
「夏は小さい頃から皆でたづぼんごですよー」
「たづ文庫?」
文庫で遊ぶ?!どうやらこの辺の方言でたづぼんごとは海に飛び込む事を
「たづぼんご」というらしい。
「なら、さなちゃん、そのまま飛び込みでいいじゃん!」
「たづぼんごはたづぼんごなんですっ!!」
と怒られてしまいました。

そんなこんなで気がつけば11時。
うどんを茹でる。炊き込みご飯も一時どうなるかと思ったがなんとか
うまく炊く事が出来た。
器を用意し、うどんを盛りつけ、お汁を入れ、トッピングをのせる。
避難所のお母さんたちと一緒になり、盛りつけ一皿ずつ完成させていく。
まるで餅つきをするかのようにリズミカルに
うどん→お汁→油揚げ→ネギ→かまぼこ はいっできあがり!といった
感じでものすごいスピードだった。

12時近くになり避難所には昼食を食べに次から次へとやってくる。
人がやって来てはうどん、炊き込みご飯を提供する。
出したと思ったら、すぐに「おいしかったよ!ありがとう!」といって
食器を厨房に持って来てくれた。
うどんもお汁をだしから作ったからかお汁までも全部飲んでくれる人が
ほとんどで嬉しかった。
ほっとするのもつかの間、目の前には洗い物が山のように溜まっていく。
ある程度してからぼくらもうどんと炊き込みご飯を避難所に人たちと一緒に
テーブルに横になって食べた。
e0096757_13522495.jpg



気がつくと13時過ぎ。
夕食は17時半。これから残りの洗いものをし、、、なんてことを
考えていたら。結構時間がない。

夕食はメインの餃子500個。
がんばるしか無い!
[PR]
by yutasaito23 | 2011-05-15 13:37 | 日記

17時間の道のり<気仙沼1日目>

先日の&フェスタで集まった救援物資、義援金で購入した物資
、炊き出しで使う調理道具、キャンプ道具を詰め込み、29日朝3時半。
同乗する友人を迎えに向かった。

4時過ぎに友人と合流し、近所の24時間スーパーに炊き出し用の食材を
購入しに向かう。なんせ約50人分の食材なのでどれだけ買っていいのか
分からない。
炊き出しメニューのうどん、ポトフ、餃子、炊き込みご飯用の食材、
救援物資用のビール1ケース、神奈川産の日本酒2本、焼酎を購入した。
レジのおねえさんも大変そうだった。

購入した食料を車に詰め込もうとするが、只でさえ物資の段ボールや
調理器具が入っていたのでなかなか入らない。
なんとかして、詰め込んだ。運転席、助手席から後ろは荷物であふれ後ろが
何も見えない状態だ。
そうこうしているうちに、すっかり夜が明け朝5時を回っていた。

他2台との待ち合わせ場所である埼玉にある蓮田サービスエリアへ向かうが、
首都高に入り朝の5時半だというのにものすごい渋滞で全く進まない。
結局、川口を通過したのが朝8時半近くだった。
東北道に入ると「渋滞45キロ」の表示が見える。
結局、川口からは断続的に宮城県に入る手前まで渋滞していた。

車は原発問題で揺れる福島県に入った。
東北自動車道は福島第一原発からかなり離れていたが、少し気を引き締めた。
車窓から見える景色は他の県と全く変わらないのだけれど。
しかし、風評被害の影響か畑にあまり人がいないようにも見えたが、
そんな中で、畑を耕していたりする人を見かけ、嬉しくなったし、応援したく
もなった。

福島県に入り、30分程走っていると道路の路肩に「この先、段差あり。
注意して走行を」という看板が目につき始めた。
この看板は宮城県に近づくにつれ多くなる。3月11日の大地震の際に
隆起した道を直した跡である。想像するにどれだけ大きい地震だったのかが
この凹凸の上を走るたびに察せられる。
また、福島県に入ると警察車両や自衛隊車両、緊急医療隊と書かれた車両。
これまでの家族連れ車両がメインだった東北道の様相が変わって来て、
少し背筋をのばした。
e0096757_12475456.jpg


宮城県に入り、他の2台と合流。
盛岡県の一関インターチェンジで降り、一路、気仙沼市に向かう。
一関インターチェンジを降りるとすぐ、国道沿いに半壊した建物が目に入って来た。
これまでの道中、地震によるこれほどまでの被害を見ていなかったので、
一瞬、言葉を失った。これから行こうとする場所をみたらどうなるんだろうと
思ってしまったが、被災地を見に行くんじゃない、助けにいくんだと思い、
気を鎮めた。

途中、ヒビの入った大型スーパーで炊き出し用の食材の残りを買い、
既に日が落ちた気仙沼街道をひたすら走る。
夜20時頃、今回のイベントの発起人であるさとし君の宮城時代の
友人であるのんぴーとの待ち合わせ場所である気仙沼市内にある
セブンイレブンに到着した。
店内に入ると意外にも弁当、お酒、カップラーメン、お菓子や何から何まで
品切れることなく、びっしりと並べられていた。店内に限らず店の前も近所の
コンビニと全く変わらない。
ここまでモノがあふれている事にびっくりした。段ボールにぎっしり救援物資
を入れてここまでやって来たが必要あるのだろうかとも思ってしまった。
近所のコンビニと唯一違うとすれば、このこのコンビニにくるのが、
どこか聞き慣れない東北方言ではない方言をしゃべるつなぎを着たおじさん達、
ボランティアに着たであろう若い人々だった。

やがて、のんぴーが乗った車が車がやってきた。
さとし君とのんぴーは2年ぶりの再会だったようだが、まさかこんな状態で
再会するとは2人も思わなかっただろう。
2人は会うやいなや抱き合った。
抱き合いながらのんぴーが
「おれ、ほんとに死ぬかと思ったよ」
と言った。
その言葉に、のんぴーのこの1ヶ月はどんなに大変な思いだったんだろう
と思った。

のんぴーに先導してもらい今回行く気仙沼市唐桑半島にある鮪立老人憩いの家に向かう。
インフラはかなり回復したようで道路も街灯が灯っており、決して暗くはなかった。
車は唐桑半島に向かう為の測道に入り、しばらく進む。
周辺は、車のヘッドライト以外何も見えなくなっていた。
道はかなり悪くなる。気がつくと、車のすぐ横にはがれきになった家々の跡が
真っ暗な中から浮き上がって来た。
この様子をみて助手席の友人と話す事すら出来なかった。

間もなくして、「鮪立老人憩いの家」に到着した。
中に入ると頭にやわらちゃんのような真っ赤なリボンをつけたおばちゃん、
村上あやこさんが出て来た。
「おめだじ、何匹でぎだんだ?」
これまでの目を疑うような光景を目にして沈んでいた気分が吹き飛んでしまう様な
明るい人でこっちまで明るくなってしまった。
いきなり、
「ごれ、余っだおにぎりだっぺ、おめさんだじで食べろ」
と言われ、コンビニおにぎりを20個近く頂いた。

宿泊用にテントを持って来ていたが、隣接する元の幼稚園である児童館が
空いているのでそこで寝ていいと言われ、休ませてもらう事にした。
児童館の外は満点の星空で、ここまで綺麗な星空を久しぶりに見た気がした。
児童館の中はどの部屋も全国から集まった救援物資で埋まっていた。
その救援物資の横でぼくら7人はおのおのが持参した寝袋を敷き、
寝る事となった。

寝る前にのんぴーから地震のことを少し聞く事ができた。
当日はちょうど夜勤で気仙沼市から勤務先である大船渡市へ車で向かっていた。
途中、工事現場の横を走っているような揺れが感じ、どんどん大きくなり、
しまいにはハンドルに掴まっていないと体が振り回されてしまう程だった
ようだ。
地震直後、まずは家に戻ろうと思いUターンさせ陸前高田市に差し掛かると
ものすごい渋滞だったため、山方面へ車を走らせ、高台に避難し無事だった
とのことだった。その直後、さっきまでいた陸前高田市はあっという間に
津波にのまれたそうだ。
その時の光景は未だに信じられないと言っていた。

みんなで短い滞在で何が出来るかを考え、床につくことにした。

→2日目に続く。
[PR]
by yutasaito23 | 2011-05-08 13:28 | 日記